C_サイエンス

2018/04/13

佐藤宏海 「いそあそび」 1巻 アフタヌーンKC 講談社

 コンビニもゲーセンも何もない、海辺の片田舎のとある街の片隅の、さらに旧道の脇の空き家に、突如<お嬢様(元)>が襲来。都会から急にど田舎にやってきて、ちょっと通常では考えられない四苦八苦(?)をしている彼女と、偶然にも出会ってしまった生きもの好きな少年との交流を描いた、生きものサバイバル系(?)物語です。

 作品自体のコンセプトもさることながら、キャラ設定が絶妙だなあと思いました。
 父親の事業失敗で、ある意味では裕福な生活からどん底の”自給自足生活”に、日本の片隅で突入した少女(中学生)ですが、田舎の海辺の自然としての当たり前が、当然ながら一人では何一つ解決できないと。
 そこに身近な自然が「あって当たり前」な上に、ちょっと生物の知識も他の子より持っている少年が、「何が食べられるか」から彼女に指南していくことになると。

 と言っても、普通であればそんな”サバイバル”な生活なんて、田舎でもしないわけです。
 けど、どん底に転落しても、人に頼らず借りも出来るだけ作りたくないという、生活力は別としてかなりしっかりとした考え方の少女と、いろいろ知ってはいたけど、それを”生きるため”に活かそうとは考えたこともなかった少年が、何とか手伝ってあげたいと右往左往するという辺りで、それぞれが「ないもの」を補完しあっているなあ、という感じがするんですね。

 作者自身、この少年のように「自分が置かれていた環境の価値」に、言われるまで気がつかなかったくらい、ドップリと田舎の自然を知らずに浴びていた訳で、その価値に気付かせてくれたのが、少女のような「それを価値と認めてくれる」人々、つまりは編集者さんだった訳ですね。

 全く違う価値観を持つ人が出会うことで、いろいろな気づきが産まれる、、、まあ勿論、ぶつかり合って理解が出来ないという悲劇も起きることはありますけど、この作品では、良い方向で「田舎の自然の良さ」に、住んでいた人達が気付かされていく、といったところでしょうか。

 まあベースが実体験と、田舎の魅力に気付いていなかった(・・・もしかしたら、まだ半信半疑かもしれませんが)御本人の価値感なので、作品の流れや生物の描写については何の違和感もなく楽しめます。それ以上に「食べる」という部分にある程度特化しつつ、いわゆる(多少流行の)狩猟系漫画とはまた少し違う、もっと地に足が付いたような流れと共に、どこか青春系の雰囲気もあるのがいいなあ、と思ったり。

 タイトルは「いそあそび」ですけど、遊びというよりは、住んでいる場所のとなりに普通にある、凄い自然というわけでもないけど、いろんな意味で豊かな”田舎の自然”を楽しく満喫できる、そんな作品かなあと。
 

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2018/02/16

杉谷庄吾【人間プラモ】 「猫村博士の宇宙旅行」 全1巻 宙出版

 初っぱなの太陽系<キッチュな宇宙人てんこ盛り>に見事に騙されてしまいますが、読み進むうちにそんな設定も全て<伏線>であることに気付かされ、つい唸ってしまいそうに。。

 とにかく何というか、SF考証を駆使しまくった壮大なスペース・オペラ的な作品になっています。主人公の「宇宙美人ハーレム計画」以外は(笑)。
 ・・・と言いつつ、その行動原理すら植え付けられた脳内記憶であったというオチの凄さに、感服といった感じです。はい。

 最初の設定の不純さ(笑)から、和気アイアイとした太陽系の旅あたりまでは完全に”罠”です(断言)。

 そこからは空間跳躍から古代文明の謎、そして「宇宙の果てには何があるのか」まで、相対性理論から空想科学の粋を尽くしたといっても過言ではないくらい、本当にてんこ盛り。
 そして時間跳躍まで駆使して<全ての始まり>が何であるのか、全ての伏線が綺麗に折り畳まれていきます。そしてラストのオチの何とスピーディーなことか(笑)。

 帯の宣伝文句である「これは、SF好き、冒険好き、漫画好きに贈られた素敵で楽しいプレゼントである!」という言葉だけで、この作品の全てが語られちゃってる気がします。いやまあ本当にこの通りです。読み進むうちに「なる程」と心の中で頷いて納得してしまうことを、何回も繰り返してしまいました。。漫画のストーリーとしても、ホントによく練られているなあと。

 下手にあらすじなんて書く必要はない、上記のキーワードに一つでも引っかかるものがあったら、絵柄に騙されずに「まあ読んでみなさい」としか言い様がない、そんな作品だと”強く”思います。
 

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2018/02/14

椙下聖海 「マグメル深海水族館」 1巻 BUNCH COMICS 新潮社

 深海の生物を紹介し、そして水中展望所でもそれが見られる、そんな近未来の深海専門水族館の舞台裏を描く、空想科学物語です。

 まずひとつ目に、近未来=SFという形を取ってはいますが、扱っている深海生物については実在するものであり、また生態や飼育方法上の問題点なども、概ね最新の知見が生かされている感じがします(ここは細かく見てませんけど)。

 その上で、そういう深海生物を誘き寄せられれば、水族館というかは水中展望台でもある、この施設の目玉になるだろうという、そういう設定ものと、空想科学作品として描かれているのが本作といったところでしょうか。

 水族館を扱った漫画というのも、こうしてみると沢山あります。その多くは「飼育員」と、扱う生物の生態や飼育する上での苦労などのエピソードで構成されています。

 この作品も「空想科学」と言いながらも、そういう文法に倣って構成されていますが、「人がまだ多くを知らない深海世界」へのロマンと共に、そして生きものを扱うという現実についても、しっかりと描かれています。

 現在ある水族館も、様々な展示の工夫や飼育する上でのノウハウで楽しめます。そして深海生物を扱い、展示している水族館も結構あります。恐らくそういう場所でのノウハウなどについても、この作品では取材したり調べるなどして活かしていると思います。

 そういう意味で、生物好きな人でも楽しめ、そうでない人にも「生きものを見せる施設とは何か」について、とあるアルバイト(1巻では)の視線を通じて、結構根本的なところから描いている、そういう作品でもあったりするんですね。

 SF(空想科学)という衣を羽織りながら、動物園や水族館など、生きものを展示する施設の存在意義と、そこで働くためのモチベーション、そしてその施設の可能性について描いているような、そんな感じがするんですね。

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2018/01/26

仲川麻子 「飼育少女」 1巻 モーニングKC 講談社

 タイトルからも、表紙からしてももう狙う気満々という体裁ですが(笑)、担任でもない生物教師に呼び出され、「生きものの飼育」をいきなり勧められる女子高生と、そんな彼女を<観察>する意図不明な生物教師の交流を斜め上から描く、「生きもの飼育するんだけどなんかかなり変」な作品です(笑)。

 いきなり勧められるのは「ヒドラ」。ドゴラとかヘドラとかいう怪獣ではなく、クラゲやイソギンチャクと同じ仲間の淡水性の刺胞動物です。インスタントコーヒーの瓶に入れたそれに、シーモンキーを与えながら、彼女は生物飼育と観察の世界にドップリと填まっていくのです。それが罠とも(ry

 ※ちなみに表紙で持っているのは、同じ刺胞動物のイソギンチャク。他にも様々な「身近だけど変な生きもの」が出てきます。

 まあ、狙っていると言い過ぎるのもアレですが(笑)、別に少女を飼育するという漫画では少なくともありません。ただ、、、語弊はありますけど、”少女を観察する”ということはしっかりやってます。

 というより、この世間ズレ(爆)した教師が、主人公である少女のどこに、何に興味を持ち、魅力を感じたのかという部分が、生物が好きな人から見ると<とてもわかる>というか、共感を感じる部分があります(えぇえぇ。私も世間ズレした変(ry )。

 生物を見て「かわいい」という感想は子供でも言いますが、ボキャブラリーや知識がないと、それ以上の発展はありません。色々な事を感じても、「かわいい」という形容でおしまい、ということも多いです(中には少ない単語を駆使して、素晴らしい感想を述べてくれる子もいますけどね)。

 それが中学生以上になってくると、「どこが可愛い?」という部分を、他の事象等で形容ができるようになってきます。これは知識も含めて様々な刺激の記憶を紐解き、「○○みたい」という風に置き換えて表現するわけですね。ただ、実際には興味があまりない、深く観察しようとしない場合には、少々おざなりな「かわいい」という形容詞だけで終わってしまう事の方が多い、、、とも言えます。

 こういう複雑な表現というのは、本当に好きで、そして何故そうするのかなど、色々と考えながらよーく生きものを観察してみないと、なかなか出てこないんですね。時にそういう能力を「感受性」という単語で表現する場合もありますけど、あまりに独創的な表現をしてしまうと、こんどは周りの人が引いてしまう、、、と。

 なんかあまり深く考えずにただ「かわいい」としか言わない人の方が多いと思いますが(あるいは何か思っても口にしないとか?)、生物屋さんはそれでは完全に満足はできないのです(※個人の感想です)。

 このヒロインは、狙ってちょっと斜めな表現をする事が多いですが(笑)、実に巧みに自分が見た現象について、「○○みたい」と、するっと素直に独創的な表現をするんですね。狙っているとはいえ、生物以外の色々なジャンルの単語が飛び交いながらも、ある意味で「はっ」とさせられる表現が散りばめられています。そこがとても面白いんですね。

 随所にある友人や先輩との「言葉遊び(略しまくり)」も絶妙ですが、生物の魅力もあまり強く主張せずにベースとしてしっかり構成されていながら、生物の知識がない人にも楽しめるよう丁寧に解説がされ、そして多くの謎(主に謎教師)を秘めながら物語が構成されています。色々な意味で、なかなかの意欲作ではないかなあ、と思ったりします。

 何かどこかで聞いた名前だなと思ったら、「ハケンの麻生さん」の方じゃあないですか。なる程、生物の飼育等に関する描写や”生物愛”が深いわけだと思ったりしました。

 未完となっている「ハケンの麻生さん」も、この作品で勢いをつけてちゃんと続きを描いてもらえるといいなあ、と思ったりしました。。
 

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2017/09/12

西餅 「僕はまだ野球を知らない」 1巻 モーニングKC 講談社

 実は野球をほとんどやったことがない(やろうと思ったけど自分は競技に向いていないから諦めた)、けど何故か野球への情熱は人一倍、そして論理や科学などを駆使して「頭脳野球」をやろうとする、、、けど、スポーツを実際しているからは相手にされない、ある高校教師。

 そんな中、希望してコーチをしていた(けど監督からは疎まれ、選手からも半ば無視?)高校野球部で、ひょんなことから監督になることに。。

 やり始めたことは、ただの理論野球ではなく、工業高校であることを活かして各種センサーや機器を他の先生に作って貰ったり、3Dスキャナでの解析等も駆使しながら、選手の欠点や癖を矯正していくという、ある意味ではプロのスポーツ選手も取り込んでいる<科学スポーツ>の世界。

 単なるスポ根、身体が動かせればいい、けど思い通りに成績が伸ばせなかった選手達が、少しずつ「変わっていく」自分達の能力を実感し、そして対外試合に挑むことになるわけですが。。

 ある意味、スポーツに「科学”だけ”で」アプローチするという、ありそうですけどちょっと無かったジャンルの作品かなと。いわゆるスポーツ科学などに基づいた合理的な解析、そして修正点が判り易いという利点を、弱小な高校野球チームのレベルで行おうという訳ですから、おいそれと上手くいくかどうかは別です。

 しかし、相手のチームの選手や監督までを徹底的にリサーチ(という名のストーキング)をして、データに基づいた戦略を打ち出す、という辺りは、1巻のここまでは順当に当たっているといった感じですね。

 けど、スポーツというのもメンタルな部分もやはり大きいです。。また戦略と言っても勝負所では賭けに近い部分もある。勿論、そういうものをカンだけでやっているスポーツ選手や監督も多い訳ですけど、そこに「科学」という客観的な視点からの確認が加わることで、また少し変わっていくわけです。

 センスの問題もありますし、科学もカンもどちらも重要ですが、そこにどんな折り合いを今後付けていくのか(主人公は本当に野球を”知らない”んで、必ずまた挫折というのも津波のように押し寄せて来ると思います)、今後の展開がちょっと手に汗握る感がある、そんな作品です。

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2017/08/24

小林銅蟲 「寿司 虚空編」 全1巻 三才ブックス

 まずもってして、この本をどう紹介すればいいのか、という問題があります。

 寿司、、そう。寿司屋の場面から始まるこの作品ですが、もう1ページ目を開いて2ページ目から、全て崩壊しています。

 突如始まる<グラハム数>探求の旅、そして<フィッシュ数>への数学的怒濤の展開、、あらゆる数学記号が飛び交い、数の大きさ=強さという前提で探求される数式の積み重ね、、、

 要するに「巨大数」を追い求めるという数学的なプロセスを、漫画という枠を使いながら、ビジュアル的に魅せてくれるという、、、そういう漫画・・・なのかもしれない何かです。

 というか、そもそも寿司屋であることが何の関連性もなく、異次元と繋がるわ、ヒロインは○○だわ、今どき珍しいくらいの崩壊型<不条理漫画>と化しているんですね。落語的な不条理ではなく、まあ吾妻ひでお的なカオスな不条理というか・・・。

 けどまあ、実際読んでいても数学アレルギーな私には、内容はちんぷんかんぷんなんですが(こらこら)、関数を使いながら展開し続け、数式だけで4ページ以上ズラズラと並べることで<数学をビジュアル的に表現する>という事をしているところが、何というか凄いなあと思ったんですね。

 内容は理解できなくとも、そのプロセスの面白さ、展開を続けていくと、あるとき突然、左右で消せる数字や枠が出てきて、そしてかなり単純な数字と記号の関数が導き出されてきた時、解りもしないのに(爆)、なんだか「・・・美しい、格好いいかもしれない。。。」と思わされてしまったりします。

 正直、この作品はどういう人が読むべきなのか、勧める相手がよく判らないという感じがありますが、思い切って<数学アレルギー>なヒトが読んでみたら、なんか数学の見方が急に変わってくるような、そんな感じも受けるかもしれません。

 ・・・が、ちょっとこのカオスな不条理展開は、その部分でかなりヒトを選ぶかもしれない・・・。私はもうこの部分だけでごはんが食べられるんですけど、一般的には不条理漫画って「理解できない」ということで敬遠されてしまうんですよね。。

 まあ、嫌われている数学の世界と敬遠されている不条理の世界がここで融合し、新しい世界が開けていく・・・そんなことには・・・なってないかもしれませんけど、なんか頭の中がグネグネされる、そんな漫画です。

 けど、中身のメインテーマ(?)である「巨大数」については、査読まで付けて超本気モードな本です。これは御本人が好きでかなり拘ってやっていないと、ここまで踏み込み、そして噛み砕いて漫画として描くなど絶対できません。そういう意味では「巨大数とは何か」というとっかかりの入門漫画本としては、凄い本なのかもしれません。。

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2017/07/21

早良朋 「へんなものみっけ!」 1巻 ビッグコミックス 小学館

 博物館に務める学芸員さん達(結構変○)の日々のお仕事を詳細に紹介した、そんな作品です。

 主人公は博物館に派遣された事務局員ですが、そこで様々な<生態>の研究員さん達を”観察”することになっていきます。ある意味では純粋に「第三者の眼」として、(恐らく私以上に)生き物にのめり込み、日々を様々な生物の採集や研究、そして標本の管理などに費やす、そんな人々を描いています。

 ヒロインが鳥類専門で鳥類標識員というのが、なんだか妙に嬉しいですね。この中で、ぶり縄を使って木を昇るというシーンがあります(たった数ページですが)。

 「ぶり縄」というのは、見た目は2本の眺めの太鼓のバチを、長めのロープの端に1本ずつ縛っただけの、何の変哲もない、知らない人が見れば「何に使う道具?太鼓叩くの?」としか思えないものです。
 それを使って10m以上もある樹にガシガシと昇ったりというのは、私は出来ませんけど(体験させていただいて5mくらい昇ったことはありますが)、身近で使える人がいまして。。まあ、信じられないスピードでヒョイヒョイと昇っていくんですね。20m近くあるスギなんかに。そのスピードと不思議なぶり縄の使い方は、あっけにとられること請け合いです。馴れている人は、直径1m以上もあるモミなんかも平気で昇る人もいます(この場合、ロープの部分を少し長くする必要があるので、木の直径に応じて何種類か用意している人もいます)。

 林業なんかでは、最近はもっと誰でも使える簡易なアイゼンみたいなものなどで登る場合も多くて、あまり高くなければ簡易ハシゴで登る場合もあるようですけど、鳥類の調査の場合には、山中でそもそもハシゴなんか運べませんし、樹をあまり傷つけたくないというのもあり、「ぶり縄」を使う場合が結構あります。

 と、鳥のお話だけではなく、水生生物から花の破片の調査から、いろいろな動植物の意外性などや日々の博物館の目的や仕事などが、ちょっと変わった学芸員さん達を通じて描かれていきます。

 著者が博物館でアルバイトをしていた、という経験が、もの凄く役立っているようで、動植物の描写やその取り扱いについては文句なしといったところです。


 このように結構いろいろとトリビアな記載があって(私も知らなかった情報もあり)面白かったんですが、初っ端のカモシカのお話だけ、ちょっと気になったんですよね。。


 血だらけのニホンカモシカの死体を背負って運んでいる、そんなシーンから始まっているのですけど、何度か読み直したんですけど気になる事が。。。

 ニホンカモシカは特別天然記念物です。

 特別天然記念物の死体を発見した場合には、まず国に報告が必要で、当該市町村の教育委員会に連絡する必要があるんですが(その間、その死体は動かしてはいけない)、そういう手続とかがされてる気配がないんですよね。市町村の博物館の職員の場合には、県からこういう業務を委託されていたりもするかもですし(調査員として実際動いているのが博物館の職員ということもあるようなので)、この辺の手続きは必要ないのでしょうかね?

 まあ、博物館の指定は教育委員会がしているわけで、教育委員会の関連機関とも言えますし、手続きは簡略化されていてるのでしょうかね?

 鉄道の仕事をしている知り合いから、山中でニホンカモシカをはねてしまった場合の手続きが、本当に面倒くさくて大変(調査員が来て必ず立ち会わないといけないし、報告内容も面倒)、というお話を聞いたことがありましたんで、そういうのも気になったキッカケなんですけどね。。(まあ、道路で車やトラックではねてしまった場合は、放置する人の方が多そうですが、線路ではそうもいかないようです)。

 他の部分の描写が実にしっかりされているもので(鳥類の標識とかその他)、ここだけが何か手続き的に合ってるのかなあ?、、、ということが気になったのでした。。

 まあ、この辺りを真面目に書き始めたら、これだけで1話分になっちゃいそうなので、省略した方が正しいのかもですけどね(けど、その場合はコラムとかでも書いておいて欲しいなあ、とちょっと思ったりしました)。

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2017/04/04

左藤真通 「アイアンバディ」 2巻 モーニングKC 講談社

 ロボットの開発を題材とした、ある天才と秀才の戦いを描く作品、、と私は解釈しました。

 主人公は、ある天才肌の科学者であり、ロボット技術に並々ならぬ情熱を傾ける男です。が、正直に言えばコミュ症とも言えるくらい、人付き合いは無頓着、お金にも無頓着、そして好意的に対応して貰っても無頓着、という、人間的にどうよ?というくらい「天才と●●は紙一重」と言っても過言ではないくらい、孤高の人という感じですね。
 多分、イメージして貰うなら「スティーブ・ジョブス」から攻撃性を省いたような、そういう人物です。そう考えていくと、彼の考え方は合理的で、まさにアメリカンな発想なのかもしれません。

 町工場の片隅に場所を借りながら開発をしつつも、何ら成果を上げられないまま資金不足に陥り、その工場の経営者である同僚(女性)から退去を命じられ、開発途中のロボット(脚だけ)の「ロビンソン」とパソコンだけを抱えて、ホームレス同然という状況に陥ります。

 起死回生の展示会での発表を通じて、彼の特異稀なる才能は、徐々に世界に”発見”されていくことになります。

 夢中になると周りが見えない、面倒な過程はすっ飛ばして「必要なことだけを順番にやっつけていく」というスタンス。同僚にしたら勘弁してよ、、な感じを受けますが(笑)、ある意味、実際に動き始めた”ロボット”の驚異的な性能を見せ付けられると、誰もが<放っておけない>と感じさせる、それも納得ができます。

 作中では、彼のライバルとして、研究を諦めて大企業へ就職していった同僚がいます。彼は一見、ロボット開発のような夢を追いかけるだけの研究は「現実を見ていない」「お金にならない」と一蹴するわけですが、実は彼の中には、大企業の人脈や開発資金を活用しながら、<ロボットを開発するための土壌作り>を虎視眈々と進めているわけです。自分の夢を実現するためには、どのようなアプローチが必要なのか、そういうベクトルで行動し、次々と課題をクリアしていく、そういう秀才肌な人物として、対照的に描かれています。

 彼から見れば、その才能はどこかで認めつつも、そんなお金の心配もせず、ビジネスも何も考えず、自分のやりたいように研究を進めながら廻りの人々を巻き込んで迷惑をかけ続ける主人公の存在は、疎ましいとしか思えません。

 資金の目処が何とか付いた天才肌の主人公と、ライバルである秀才肌の”もう一人の主人公”。目指すところは同じ場所なのかもしれません。どのような展開が待ち受けているのでしょうね。


 物語のあらすじと感想としてはこんな所ですが、この作品、1巻目では食指が動かなかったんですね。改めて表紙・裏のあらすじ、帯を見ても、パッと内容がイメージできなかったんです。2巻目の表紙やあらすじを見て、それから帯を見てから面白いかも?とやっと感じて1~2巻まとめて読んだんですが、それで「あ、結構面白いかも」とやっと”発見”した次第です。

 いわゆる今ある「ロボコン・ブーム」の先、行く末を見つめている作品だなあと思いました。

 ロボコンは私も好きですが、あそこで育まれたアイデアや情熱は、本当に日本でこれから<もの作り>に活かされていくのだろうか?という現実面を見た場合、少し不安があるんですね。物語の最前線は、ある意味では「中小の町工場」だと思うんです。最近は、その町工場の底力を題材にした番組も随分作られていますが、成功した事例というのは、そんなに多くありません。現実的には、開発などという世界は町工場にはほとんど無く、大企業の中でも<ビジネス>という名のもと、日の目を見るのはほんの一握りでしょう。

 そんな情熱や隠れた才能を、どのように今後日本で活かしていくのか。中小企業から大企業まで、色々なパターンを組み込みながら、シミュレーションしていく。。夢を夢で終わらせないためには、何をすればいいのか、そんな段取りや道順があるのかを、この作品は見せてくれてるんじゃないかなあ、と思うんです。

 ロボコンに参加している人達や、今でも趣味でもの作りをしている人にこそ、じっくり読んで貰いたいなあ、という気がします。現実の中なら”夢”を拾い上げ、それを”実現”していくまでの地道な足取り。これからどうなっていくのか、ちょっとワクワクする作品です。

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2017/03/28

ごまきち 「鷹の師匠、狩りのお時間です!」 1巻 星海社COMICS 講談社

 これは現代の鷹匠の物語といえば、まさにその通りのお話なんですが、他の鳥作品と一線を画するのは、作者本人が<鷹匠>であるということです。

 そして内容は半端ないです!!

 最初、タイトルを見てから、鷹匠と猛禽類を題材にした4コマコメディ漫画かな?と思って読み始めましたが、実はタイトル自体に重い意味が込められているのですね。。

 内容の半端なさは、その経験に基づく知識と、猛禽類という人間とは全く異なる生物と共同作業を行い、向き合う姿勢に表れています。タイトルの通り、タカと人間の関係は信頼関係もさることながら、外側から見ているのと違う、<主従関係が逆>に近いものであることが、読みながら理解していくことができます。

 動物やペットであるなら、犬と人間の関係が一般化し過ぎて、人間がヒエラルキーのピラミッドの上位に位置する、という思い込みというか<刷り込み>がある気がするんですね。

 しかし、鳥の場合には全く異なる訳です。基本的に猛禽類は単独行動ですし、群れといってもリーダーが居るわけではなく、実は結構バラバラだったりと、違うのが当然なんですが、どうも<飼う>という行為が身近な体験から一般的に認知されているなあ、、と思ったりしました。

 鷹匠の場合、人間は鷹のための”発射台”に徹する、いかに狩りがし易いよう、タイミングや獲物の状況もよく見極め、タカの反応を見ながら”合わせ”る、、、という事になるそうですが、本当にドキュメント番組を見る以上に、リアリティーをもって描かれているんですね。。

 絵柄はシンプルな4コマ系の絵柄ですし、緻密に描き込まれている訳ではないんですが(けど鳥の絵はどれもやはり上手い。特にバランスが)、飼っている猛禽の描写や行動、そして習性、彼らとの付き合い方、そして獲物tとなるキジやカモ類の性質や特徴、行動特性など、一応、鳥の調査をしている人間から見ても、「え、そんな違いがあるの!?」とか「おお、ここまで描くのか!」とか「やはり自分で触ってると違うよな。。」とか、驚愕と感心の繰り返しでした。

 本当に勉強になるというか、聞いてビックリな内容がさりげなくてんこ盛りでした。。オオタカとハヤブサの狩りの行動の違いは、それなりに結構な時間、観察もしていましたし知っていると思い込んでいましたが、嘴の形状がそれぞれ微妙に違い、そこには狩猟方法に基づく合理的な理由がある、というのをサラッと1コマで描かれていて、本当に目からウロコでした・・・。勉強になりました。

 何より、野生動物の保護施設(アニマル病院)への手伝いに行った際、保護されたオオタカの胸部や腹部の肉の付き方を触りながら、遺伝的に野生のオオタカでありながら、それが巣などから違法に捕獲されて飼育された個体だと見抜いたあたり、本気で猛禽類と付き合い、対峙し、観察しているからこそ判る、本物の”プロ”なのだなあと、ある意味では畏怖すら感じたりしました。。

 取材してというのではなく、自ら師匠について学び経験したことを描いていくわけですけど、鳥を題材にした漫画というのも色々とありますが、とにかく自分で観察した内容を描くということに勝るものはないなあ、、、と改めて思いました。

 勿論、鷹匠について本気で取材し、もの凄いリアリティーと共に描いた作品は、他にも無いわけではなりません。矢口高雄の「イワナの恩返し」の中に、オオタカでもハヤブサでもなく、クマタカを用いた、スポーツ的な鷹狩り(オオタカ)とはまた違う、”生活のための鷹匠”についての物語が描かれています。

 これがまた野生のクマタカを捕まえる所から何ヶ月もかけて訓練するところまで、実に丹念に時間をかけて行う姿が描かれている秀作です(但し、現在は種の保存法などもありますので、クマタカを使った鷹狩りは、もう行われていないですけどね。。)。

 他にも未読ですが、「はばたけ!太郎丸」もクマタカ(角鷹)を使う鷹匠を描いた作品です(これは電子書籍で読めるみたいですね)。


 脱線しましたが、とにかく4コマで少しコメディタッチで描かれているこの作品ですが、実は内容は半端ない、ということで。
 けど、マニアな人にしかその凄さは伝わらない、、、のかもしれませんね。。。
 漫画として面白いか、というよりも、コミックエッセイ的な作品と割り切った方がいいかもです(と予防線)。

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2016/11/10

梶谷志乃 「想幻の都」 全2巻 BEAM COMIX エンターブレイン

 脳の記憶を別の肉体に移し替えることができれば、人は永遠に生き、死ぬことなく幸せになれるのか。。

 冒頭からの死体の腑分け作業など、全体的に非常にアナログでオカルト的な雰囲気を醸し出していますが、あくまで科学的な記憶のコピーと人体再構築により、新しい肉体に記憶を移動する、といういわゆる”人造人間”技術が確立された近未来の”パリ”の街を、その技術者であるAI搭載の人造人間の視点から描いた、そんな作品です。

 実際にはこの技術には制約もあり、新たに構成した(というかほぼフランケンですな)人造の肉体は、長期間の維持は困難で、定期的に新しい<死体>が必要になります。
 その死体の提供元は、死刑相当の重罪人であったり、脳死と判定された怪我人であったり、そしてモラルハザード状態ですが、「新しい体が欲しい」と希望する人の元の肉体も、”人造人間”の材料として提供されます。

 人造人間にも、そういう記憶を移したタイプと、いわゆるAIを搭載した、人とロボットの中間に近いタイプ、そして完全に労働力の不足などを補う、意志を持たないロボットに近いタイプの3種類に分かれます。
 その人造の肉体を構成するために、技術者達は日々スプラッタに人体を切り刻に、不要となった人造人間は容赦なく”処分”すると。。

 最初は労働力の不足を補うための技術でもあったわけですが、ある意味では<理想の肉体を手に入れる手段>として意味を成し、パリの街はモラルがどんどんと崩壊していっている、と言ってもいい状態です。そしてそんな中で人造の肉体を手に入れようとする人々と、それを手にした後の葛藤、そしてその顛末が、淡々と描かれて行きます。

 この物語のテーマは「命とは何か」そして「死とは何か」という、そんな根源の命題もあります。命は限りあるものという「当たり前」が、当たり前ではなくなった世界では、人々は欲望のままに何を求め、そしてどうなっていくのか。。

 物語の顛末は、ある意味ではそのドロドロの欲望の果てに生じた<破綻>として描かれています。。

 定期的に肉体の限界が訪れる人造人間の体。基本的には新しい体に乗り換えることにより、命を保つことができ、ある意味では永遠の命を得られた状態とも言えますが、それは何の犠牲の上に成り立つ世界だったのか。。

 生きるとは、命とは何かについて、この作品では結論は出していません。完全に生命モラルの破綻した、死体だらけの世界の上に成り立つこの「幻の街」の顛末から、「生きること」、あるいは「生命」の意味を問おうとしているんではないかなあと。

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