今井大輔 「セツナフリック」 全1巻 ヤングチャンピオンコミックス 秋田書店
いや、SFという括りは適切ではないかもしれません。作品を通して語られるのは、「もしも○○ができたら」とか、「もしも○○が○○だったら」という、ある意味、誰もがふと「こうしたら便利かも知れない」という事柄が<実現>した近未来であり、それが当たり前のように社会に浸透している、という世界です。
実現性は別としても、あくまで<それが浸透し、当たり前になっている>ということがミソです。そんな世界で、「それをどう使うか」は個人の裁量というか使い方によります。そしてある意味では「依存症」などの社会問題にも発展し、「発売禁止」となるテクノロジーもあると。
そういう「個人の使い方によって、黒にも白にもなる」という部分に、この作品はフォーカスを当てているんですね。
運が好きなように使いこなせたら、意識をロボットに移せたら、バーチャル世界に没頭し過ぎたら、そしてあらゆる身体能力がインストールできるようになったら、etc.
そんな世界設定の元で物語を描く場合、その世界全体を「群集」として、ある意味現代人から見れば狂気な世界として描くか、それに反発する登場人物を描くか(その世界に疑問を抱く、あるいは他の世界から来たという形など)、というのが、ごく一般的なセオリーだと思います。が、この作中ではあくまで空気のように「あたりまえのもの」として描かれているだけで、そのテクノロジーの詳細にはまったく触れず、家電製品の如く、「それを使って何をするか」が、この作品で焦点を強く当てている部分です。
絶望的な状況に陥る、という状況はこの作品の中ではあまりありません(無い、とも言えませんけど、個人的にはそこまで最悪な状況に陥ってるようにも見えない)。あくまで「最新テクノロジー」を使いこなし、日々を生活する「普通の人々」の日常と喜び、挫折を描いた、そういう作品だということです。
50年以上前の人々は、50年後には誰もが携帯電話(スマホであれば、パソコンと言ってもいい)を持ち歩いて生活しているなんて、想像も出来なかったでしょう。その頃なら、なんか百年以上未来なら、、というイメージでしたが、数十年で実現してしまったわけです。空中に画面が出るなんてのも、ヘッドアップ・ディスプレイは既に実現済で、普及段階に移行しつつあります。空中で機器を操作なんてのも、実験段階ではクリア(手を振るだけで音楽奏でたり、ゲームしたり)。何より「O.K.!○○○le」なんて声で機器を操作しちゃう世界が、お茶の間で使えるようになってしまいました。これなんか10年前の人達でも、こんなに早く実現するなんて思ってませんでしたよね。。
そんな数十年後の「ちょっと便利になった未来」で、人々は新たなテクノロジーに囲まれ、どう生きているのか。。
作者が意図して、または意識ているかは判りませんが、少なくともこの作品を実写にするとした場合、作中でCGや特殊技術が必要な部分は<ほぼ皆無>です。やろうと思えば、そのまま小道具を少し作る程度で実写化できますし、あるいは演劇でやるのにも耐えられるかもしれません。
ある意味、こんな作風がこの作品の「味」であるとも言えますし、想像を超えた凄い世界ではない分、誰にでも読めるライトなSF作品であるとも言えるでしょう。どちらかと言えば、作品の世界観より、どんなシチュエーションでも「その中で足掻く人々」を、色々な角度から描くことに注力している、そういう部分に着目すべきな作品だなあと。
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